「恥ずかしい」と思うことが減った。そもそも羞恥心ってなんなんだおい!

「なんだか恥ずかしい」と思うことを人に言ったり、実行できるようになった。これは最近できるようになってきたことのひとつ。
わかりやすく言えば「親に言えないような趣味を持つな」の感覚の人が親に言えないような恥ずかしい趣味をどうやって堂々と行えるようになったかみたいな事だ。 今まで心が欲したとしても、やはり恥ずかしいので手を出さないか、もしくは密かにこっそりやってしまうしかない状態だった。
超わかりやすくいえば、エロ本を読みたい!と心から欲するなら、ダメなことだと思いながら、こっそり読んでいた。みたいなことだ(※例え話です)
いまならエロ本を読みたいと思えば、堂々と読めるようになったという感覚だ。とはいえ人前で読んだり、部屋に堂々と置いたりはしない。TPO的にだ。
恥ずかしいからしないのと、 欲する事を自覚できつつ、それを受け入れつつ、いつでもできるけど今は別にしなくていい、 だと行動の結果は同じなのだが、人間力としては雲泥の差がある。 恥ずかしいがどんどん減っていく事はとても素晴しい。覚醒前からずっとそういう人になりたいと思っていたのだ。
今までは沢山の「恥ずかしいこと」があった。 これはJW教育で「罪深い事柄」を沢山学ばされたせいともいえるし、周りの親しい人(JW仲間)に言えば馬鹿にされるなり避難されるかもという環境がそれを育んだとも言える。 大きな枠組みで言えば、自分が育ってきた価値観や文化的なものともいえるだろう
仕事の関係上、芸術やアートのプロが周りにたくさんいるのだが、いつも羨ましいと憧れる人達は「常に恥ずかしさなど感じない人達」だった 恥ずかしいからできないが多い人間は、クリエイターとしてはマジで不自由だった。 ※もちろん、それが社会的にマナーを守る良い面として発揮されることもあった
洗脳が解けて、自分らしく自分軸で生きたいと毎日を過ごしている。 どんどん「恥ずかしい」と思うことが減っていき、堂々と自分の欲求と向き合うことができるようになりつつある。 ああ、自分ってこんな変な趣味があったんだ!と発見することも多い(ここでは言えないようなこともあるww)
もちろんTPOは大切だし、それをシーンに合わせて気負いなくスマートに対応できる人間に憧れる。 恥ずかしいから何かを制限するのではなく、自らの意志を尊重しつつ制限する。行動の結果としては、今までとあまり変わりはないのだが。 たったこれだけのことがとても嬉しいと感じる。
あ。これ言い換えると「ええ格好しい」をしないだww 無駄に他人によいところを見せようとしていた。ともいえるのか。 もちろんそれが結果的にカッコいい時もあるのだろうけど。殆どは無理しちゃってるわけだw やはり自分軸で自分らしく生きるのに、恥を捨て去る、は必須だと思う。
恥ずかしいと思うことは、自分の至らなさや不甲斐なさを感じたり、人に知られたくないことや見られたくない気持ち、褒められて照れくさいときに感じる感情 羞恥心は、他者からの期待や信頼に背くなど、社会からの排斥を想像させる苦境場面に自己が置かれていると認識することによって喚起される警告反応。 周囲の評価や信用を失いかけた時「恥ずかしい!」という警報を送って自分のイメージを守る 一方で、羞恥心が生きる上で必要かどうかは議論が分かれる
超納得www JW教育で恥ずかしさは沢山培われた!と断言していいと思う。 洗脳を解くってマジで大変だ。

文字が乗るのね