恋しても「心の穴」は埋まらない。

自己受容してない人は、恋愛の相手を使って 「自分の心の穴」を埋めようとする。
好きになった相手と、つきあうことになったり一緒に住み始めたりすると、最初は、まるでパズルのピースが「自分の心の欠けている部分」にピタッとハマったような快感を覚えることがあります。 「この人こそが私の運命の人だ!」と感じることもあるでしょう。
ところがしばらく時間がたつと、相手が自分のしてほしいことをしてくれなかったり、言ってくれなかったりして、だんだん不満や不安を感じるようになってくる。
一人だった時より、もっと「さみしさ」がつのる。 相手が自分から離れていく可能性を考えてしまったり。
そうして二人の歯車が狂い始め、恋の終わりを迎えたとき、あなたは、 「やっぱり運命の人は、この人じゃなかった……」とか、
「彼の愛は冷めた。彼は変わってしまった」とか、 「私の何がいけなかったのだろう? 彼に尽くさなかったから? それとも尽くしすぎて、うっとうしがられたから?」 などと、考えるかもしれません。
でも、そうじゃないんです。 恋が次第に息苦しくなっていくのは、相手の存在を使って「自分の心の欠けている部分」を埋めようとしているからなんです。
「え? 恋愛って、そういうものなんじゃないの?」 彼が私を愛してくれたら、心の穴が埋まるかも、と思う気持ちが、ちょっと待って。 誰かと恋をすれば、「私はだめな自分」になれるかも心のニガさで、そう思いながら恋をしていたら、あなたは恋することで、自分の心の穴を忘れたくて、恋の相手がいないと穴がどんどん深まる。現実に生きているのです。 でも、「どんな相手でもいい」恋ができない「一人の人間」であれば、「穴からみえているのをイメージして」 あなたの一生、ぎゅうぎゅうにしぼむかも。しぼむかも。 「ざみしさ」「やさしさ」や、「怨念」「不安」「嫉妬」「憎しみ」「罪悪感」といった、依存的な感情や考えが、穴がみえている穴が、「心のさみしさ」から解放されるじゃないかと、そう思っているからです。
恋愛することで、「ざみしさ」を感じなくなるのは、不可能。 良いですが、「きれいごと」を鎮定する。 しかし、心の穴をあめるために恋愛をしていると、「かならず」「しっぺがえし」をくらいます。