44歳頃に「好きなことだけして生きていく」と決めた。破壊と構築を繰り返す研究日誌。
周り道の多い人生を歩んでいると思う。
齢48歳。まもなく半世紀だ。
なんだか振れ幅の大きい人生を歩んでいる自覚はある。
27歳で結婚したが子供はいない。
自分の子孫を残せずにこの世を去る可能性は高い。
その為というわけではないが、どこかの誰かのために、
自分が生きて見い出した事柄をできるだけ残して置こうと思う。
好きな言葉はたくさんあるが、
中でもビル・カニンガムが残した言葉は印象的だ。
「美を追い求める者は、必ずや美を見出す。」
プラトンも、ヘーゲルも、美を求めることに対して深い考察を残している。
美とは、ロマンであり、まだ見ぬ理想のことだ。
常に変化していく幻影で、それが何たるかを実感できるのはおそらく人生の終盤だ。人生の折り返し地点まで生きているが、死ぬ間際に見つけられるのだろう。きっと。
この研究所を立ち上げたのは、コロナ禍で世界が大きく変わろうとしていた2021年の4月だった。独りでせっせとDYIをして1ヶ月かけてリフォームした。
その名もSTRAWBERRY FROG LABORATORY(ストロベリーフロッグラボラトリー)
苺蛙研究所というアトリエであり、探求の拠点だ。
本業はデザイナーなのだが、最近は自分が何屋さんなのかいよいよわかなくなった。2001年にAFROG DESIGN UNITという制作チームを立ち上げ、おかげさまで20年以上それで生計を立てている。素晴らしい仕事仲間と共に制作活動が続けられているのは感謝でしかない。

好きなことだけして、生きていくには天賦の才が必要だ。中でも生き抜く才がな。
上杉景勝 (花の慶次)
ここに至る道を少しだけ振り返ってみる。
俗に言うネグレクト環境で育った。人に必要とされることが嬉しくて、
できることを片っ端からやってみる人生を歩んでいる。
11歳の頃、伝道している近所の青年と出逢ってから聖書を学び、
44歳まで敬虔なクリスチャンを本気で目指した。
全世界をこの目で見てみたくて、
18歳で海上自衛隊に入隊。2年間で世界を1周半し、
おかげさまで七つの海を航行できた。3年で除隊した。
絵を描くことが大好きだったので、
自衛隊で稼いだお金で美術学校に通い油絵を学んだ。
在学中にAppleのMacと出逢い、デジタル制作のプロの人になった。
人に教える行為が好きだったので、
広島芸術専門学校と文化服装学院の非常勤講師を並行して16年間やった。
誰かに先生と呼んでもらえるのは有り難いことだった。
18歳でNikonの一眼レフを手にしてから写真に取り憑かれて20年以上、
写真を愛して、もはや写真に依存して生きていた。依存症だった。
色恋沙汰はほんの少しだけ多めの人生だったかもしれない。
27歳で結婚。気がつけば引っ越しを4回していた。
2021年アトリエ 兼 研究所を立ち上げラボ所長という新たな肩書を加えた。
考察し、実験し、観察し、調査し、制作する毎日だ。
基本的に好きなことに全振りして生きている。
若い頃から珈琲好きだった。
2024年、近所の有名なマイクロロースターで週に1〜2回程度、
客の前で珈琲を淹れる事をしている。これが実に面白く、勉強になる。
そんな研究所所長の日々の記録を綴った
エッセイ的エンタメサイトである。
2024.6.9 masaru yamamoto.
自分の好きに自由に生きていくために、どうすれば良いかを模索する人に役に立つサイトになればと思う。答えや結論だけではなく、そこに至るコンテキストを記録できるような構成にできたらと思う。
